「出来ごころ」(小津安二郎監督) |
広辞苑によれば、御用学者とは、権力に迎合し、学問的節操のない学者さんのことをいうそうです。
政府の審議会委員になって政府の方針にそった意見をのべたり、政府に都合のいい調査結果をまとめたり…国会にいると、そういう学者さんが目につきます。
政府の息が掛かれば、箔(はく)がつき、講演の数も増え、本も売れる。結局、お金のためなのでしょうか。
その点、小泉内閣のときに大臣をやった経済学者の竹中平蔵さんは、すこし違いました。
竹中さんの場合は、自分から迎合したというより、アメリカかぶれの小泉さんが、日本も「構造改革」路線でやるしかないと、竹中さんを抜擢した、いわば「御用達」学者。
竹中さんとは50回以上、国会で論戦しましたが、立場は正反対でも、かれなりの信念の強さを感じました。
ただ、論理の中身がせまく、「企業がよくなれば、すべてよくなる」とくり返すだけ。
「構造改革」の何年間がたち、結局、よくなったのは大企業だけで、格差と貧困が広がり、竹中さんの言うとおりにはなりませんでした。
自分の小さな理解に固執して、なぜ経済不況なのか、本当の原因が見えなかったのです。
小津安二郎監督の映画「出来ごころ」(1933年)に、こんなセリフが出てきます。
「海の水は、なぜ、しょっぱいか知ってるか?」
「そりゃあ、鮭がいるからだろ」