2011年12月21日水曜日

乱読のすすめ34-原発事故はみんなの共同責任?

現代書館












   ことしの三月の終わり、東京電力の社員の息子さんで、小学6年生のゆうだい君は、「原子力発電所を増やさなければならなかったのは、日本人がむだに電気をつかってきたから、地球温暖化防止のために必要だったから…なのに、みんなは無責任」と、毎日小学生新聞に投稿しました。
   東電にたいする批判が日増しにきびしさを増すなか、ゆうだい君はどんなにつらいおもいをしたことでしょう。

   「僕のお父さんは東電の社員です」(毎日小学生新聞・編、森達也・著)は、ゆうだい君の投稿にたいして、たくさんの子ども、大人たちが寄せたさまざまな意見、感想を、まとめたものです。
   みんなの責任について、みんなで考えてみようという公開討論のようで、いい企画だとおもいました。

   国民みんなが、今回の事故を、自分のこととしてとらえることは大事ですが、ときおり、新聞などで、意図的におかしな「共同責任」をふりまく人がいるのは気になります。
   今回の原発事故を起こした責任は、国と東京電力だけにあるのではなく、原発の危険性に無関心、あるいは目をつむってきた国民にもある。さらには、危険を指摘していた人びとにも、けっきょく原発推進を止められなかった点において、結果責任はある…この種の「責任分散論」は、問題の所在をあいまいにし、今後の選択を誤らせるおそれさえあります。

   事故をおこした責任は、事実をたどれば、国と東電、利権に群がった企業集団、政治家にあることは明白です。
 
   わたしたちみんなが負うべき責任というなら、それは未来の子どもたちのために原発のない日本をつくることです。