2011年12月18日日曜日

乱読のすすめ33-中川右介「第九」









   12月といえば、「第九」(ベートーヴェンの交響曲第九番)の合唱の季節。
   ドイツ語がちんぷんかんぷんでも、その気になって聴いていると、何となくおごそかで勇壮な気分になるから不思議です。

   ところが、ベートーヴェンがこの曲をつくったのは、じつはお金がほしかったからだった…

   幻冬舎新書「第九」(中川右介)は、「第九」の誕生から現在までの歴史を、「人物」と「事件」をとおして、おもしろく描いています。

   1905年3月、ベルリンのビール醸造所のホールで、歴史上はじめて「第九」が労働者のために演奏されます。この集会の主催者のひとり、ドイツ社会民主党幹部のクルト・アイスナ―は、そのとき、つぎのようにのべています。
   「労働者階級の偉大なる闘争のなかで、歓喜の聖なる火花が輝く。その光は灯台のように貧困と偶然の社会から、新たな社会の芸術作品のほうへと導く」

    ところが1937年4月には、「第九」は、ナチスに利用されます。18、19日に有名な指揮者フルトヴェングラ―が、ベルリンフィルを率いて「第九」の演奏会をひらきますが、20日がちょうどヒットラーの誕生日。ナチスの新聞はこう書きました。
   「昨日のベート―ヴェンの第九は、総統の誕生日にあたり、その力強さと闘争、征服と、幸運な勝利を象徴的に認めたものに他ならない」

   聴く人びとによって、さまざまな意味をもたされてきた「第九」ですが、いまの日本のような「年忘れ大感謝祭」的な歌われ方、聴き方が、もっとも平和で素朴でいいとおもいました。

          (歌詞、シラー原作)

      抱きあえ、百千万の人びとよ。

      全世界の、この口づけをうけよ。

      兄弟よ、星空の上に

      かならず慈父はおわします

      歓びよ、歓びよ、神の麗しいひらめきよ。