小泉今日子さん |
最近、映画でもテレビでも、小泉今日子さんが、不思議な女性を演じる、すごい女優さんになったとおもっていたら、演出家・久世光彦さんのエッセイ「歳月なんてものは」(幻戯書房)に、彼女のことが書かれていました。
小泉今日子さんの演技が変わったのは、ある人の死がきっかけになったとのこと…。
演出家、プロデューサーとして「時間ですよ」や「寺内貫太郎一家」などのテレビドラマを手がけた久世光彦さん(2006年急逝)は、小泉今日子さんが16歳のころから20年ちかく、彼女を見てきました。
久世さんによれば、小泉さんの表情や動作に、陰影が色濃くではじめ、なにげなく街を歩いている後ろ姿に都会の憂鬱とでもいうようなアンニュイが滲んだり、そっけない表情の横顔に狂おしい恋の悶えが突然揺れて見えたのは、彼女がお父さんを亡くしたころからだったとのこと。
久世さんによれば、小泉さんの表情や動作に、陰影が色濃くではじめ、なにげなく街を歩いている後ろ姿に都会の憂鬱とでもいうようなアンニュイが滲んだり、そっけない表情の横顔に狂おしい恋の悶えが突然揺れて見えたのは、彼女がお父さんを亡くしたころからだったとのこと。
以降、「人の心の中の、さまざまな矛盾を、不用意といっていいくらい正直に、表に出すようになった。これは小泉今日子の<演技>の変化ではなく、<生きていることの自覚>の変化ではないか」というのが久世さんの観察。
「たぶん近親の死というものに、はじめて出会ったのではないか。この人の歩調に乱れが見えはじめた。呼吸が不規則になった。投げやりとさえ思われる、ある<放棄>の色を目に浮かべるのを私は見た。つまるところ、ある人を変えるのは<人の死>なのではないかと、私はそのとき考えた」
役者だけでなく、ひとは人間が死ぬということを忘れてはいけない。死の予感のないところに、ほんとうの仕事も恋もうまれないのだ…なるほどと、おもいました。
「たぶん近親の死というものに、はじめて出会ったのではないか。この人の歩調に乱れが見えはじめた。呼吸が不規則になった。投げやりとさえ思われる、ある<放棄>の色を目に浮かべるのを私は見た。つまるところ、ある人を変えるのは<人の死>なのではないかと、私はそのとき考えた」
映画 「センセイの鞄」 |
役者だけでなく、ひとは人間が死ぬということを忘れてはいけない。死の予感のないところに、ほんとうの仕事も恋もうまれないのだ…なるほどと、おもいました。