内橋克人さん |
「ファシズムは、そよ風のようにやってくる」という警句があります。知らず知らずのうちに、最初は心地よいものとして浸透していく…。ほんとうでしょうか?
歴史をふりかえれば、ファシズムは、ある者たちによって周到に仕掛けられたものではあるが、事前に闘ってきた人びとによって察知され、世にたいしくり返し警鐘が鳴らされていたのではなかったか。
エーリッヒ・フロムは「自由からの逃走」(1941年)で、「多くのひとびとは、自由を求めているようでいながら,実は自由から逃れたいと密かにおもっている。安定をあたえ、疑いから救ってくれるような新しい権威にたやすく従属しようとしている」とし、個人の「自由からの逃走」がファシズムを招く、と警告を発しました。
ジャーナリストの斎藤貴男さんも「安心のファシズム―支配されたがる人びと」(2004年、岩波新書)で、独裁者の強権政治だけでファシズムは成立するのではなく、隷従を積極的に求める民衆の心性あってこそ、それが成り立つことを解き明かしました。
フロムと斎藤貴男さんに共通する点は、閉そく感や将来不安がないまぜになった精神状態におかれたとき、人びとは思考を停止し、強大な権力に抱かれる安心感を求めるようになるということ。
それにたいし、経済評論家の内橋克人さんは、 1月8日の朝日新聞で、もう一つ、ファシズムを希求する人びとの心情があるとのべています。
「安定した雇用からも、国民年金など基礎的な社会保障からも排除された人たちが多数派となり、『貧困マジョリティー』を形成しつつある。かれらは為政者に抵抗する力も、政治活動に参加するゆとりもないが、精神のバランスを維持するために、『うっぷん晴らし政治』を渇望し、政治の混乱を面白がり、きわめて反射的、表面的に選挙権を行使する」
「そういう『貧困マジョリテイ』が、新たな階層として日本社会に形成されつつあり、大阪の橋下市長の『ハシズム』現象もかれらの心情的瞬発力に支えられている面が大きい。地方公務員は特別待遇を受けているとバッシングし、閉塞状況下の欲求不満に応えていくやり方だ。」
「民主政治を基盤とする国でのヒーロー待望論ほど異常なものはなく、『うっぷん晴らし政治』が、日本古来の『頂点同調主義』に加え、意義を唱えるものを排除する『熱狂的等質化現象』と一体になれば、『貧困ファシズム』の培地となりかねない」
フロムと斎藤貴男さんが指摘するのが受身的なファシズムの容認なら、内橋さんがいうのは能動的なファシズムへの志向。歴史にあらわれた実際のファシズムは、その両面を内包していたのだとおもいます。
そんな時代の空気が煮詰まっていることは確か。いまはファシズムを仕掛ける本丸と闘い、それを打ち砕くことに全力をかたむけなければなりません。