南京大虐殺 記念館 |
いかがなる理にことよせて 演習に 罪明からぬ 捕虜殺すとや
古兵らは 深傷(ふかで)の老婆をやたら撃ち なお足らぬげに 井戸に投げ入る
生きのびよ 獣にならず 生きて帰れ この酷きこと言い伝うべく
『小さな抵抗-殺戮を拒んだ日本兵』(岩波現代文庫)は、戦時中、中国河北省で、中国人捕虜を訓練のために刺し殺す「殺人演習」を、キリスト教者として拒否した渡部良三さんの歌集です。
ぬぐい得ぬ おびえ心にたちしまま 殺さるる捕虜をおのれに比ぶ
いのち乞わず 八路の捕虜は塚穴の ふちに立ちけり すくと無言に
鳴りとよむ 大いなる者の声きこゆ 「虐殺こばめ 生命を賭けよ」
「捕虜殺すは天皇の命令」の大音声 眼するどき教官は立つ
虐殺を拒めばリンチは日夜なし 衛生兵のみ なぜか優しも
強いられし痛み残れど 侵略なしたる 民族(たみ)のひとりぞ われは
あの時代にうまれ、渡部さんと同じ場面に立たされたら、自分は命令に逆らって、捕虜の虐殺を拒むことができるだろうか…。
本書を読んで、いきなり己の根源が問われたような衝撃を受けました。たとえ答えられなくても、ずっと問い続けなければならないことだとおもいました。
『歌集』の「おわりに」で、渡部さんは現代への危惧をつぎのように語っています。
「忌まわしい記憶、捨て去りたい記憶、忘れてしまいたい記憶、語ろうとすると身震いしてきて耐えられなくなり、つい黙してしまう記憶……。私はそんな記憶を一つ、心の片隅に託ち、敗戦後のいまを生きている。…多くの人が得意げに、或いはさもさも懐かし気に、或いは心からの懺悔でもしているかのように戦時中を語るときにも、沈黙を守ってきた。…一方、いささか古めかしい言葉づかいではあるが、講談的反戦論者とでも名付けたいと思うような『職業的反戦反軍備論者』が、世上の反戦論の旗振りをし、戦時中から反戦を展開し闘ってきたかの如く振舞っている」
「戦争は自由を剥ぎとり信仰心を亡ぼし、愛を失わせる人類最大の罪悪である。…あの戦争に、心からの、しかも民族として永遠の懺悔を持ち続けないならば、再び、自由と信仰と愛を育まない方向に歩を進めるだろう。現にその兆しが見えている。憲法を美しい日本語のありのままに読まないで、権力に都合にいい解釈をし続け…この道はあの敗戦以上の恥辱と滅亡への道である」