2011年10月22日土曜日

カンパニー

金井英明「大きな木ありがとう」










    けさ、新幹線にのるまえに、東京駅の書店で目にとまったのが、「株式会社という病」(平川克美、文春文庫)。知り合いの湯浅誠さん(反貧困ネットワーク事務局長)が解説を書いているので、車中で読んでみることに。
   経営者の一人でもある平川氏が、短期的な利益ばかりを追って不祥事をくりかえす「株式会社」というシステムを批判的に考察した本です。  平川氏の主張は、「病」のおおもとには、人間の欲望があり、それは「株式会社」のしくみと切り離せない、なぜなら、「株式会社」は、利益(欲望)を追求する目的でつくられた組織だからである―なんだか、当たり前のことをいっているようにおもえました。

    いままでも、会社=カンパニーのありかたを問う本は、
「誰のための会社にするか」(ロナルド・ドーア、岩波新書)、「会社はだれのものか」(岩井克人、平凡社)などがありました。
   放置すれば、目先の利益に走り、人間をないがしろにするカンパニーという存在を、どうコントロールするかが議論の対象となり、処方箋の多くは、カンパニーの「意識改革」をもとめるものでした。

   昨年、スウェーデンに参議院の調査で行ったとき、政府の高官が、企業の社会的責任について、こういいました。
   「スウェーデンでは、企業も国民も、一つの家族だとおもっています。家族それぞれが、家族の役割をはたすのは当然ではないでしょうか」

   日本の政府は、グローバル化だの、生き残りだのと大げさにさわぎたて、国民を犠牲にしてでも、企業利益を野放しに尊重しようとします。日本は、企業だけでなく、政府の「意識改革」も必要です。