2011年10月1日土曜日

風景は思想だ




 3月11日の大津波で、町の風景をうしなった三陸の被災地。これからどういうまちづくりをしていくのか、それぞれの自治体、住民のあいだで、真剣な議論がおこなわれています。

  93歳の日本画家・堀文子さんは、画文集「命といふもの」のなかで、「様々な国を旅して、『風景は思想だ』と私は確信した。風景は自然を取捨選択し、その国の人びとがつくりあげた作品なのだ」と書いておられます。

  堀文子さんは、「群れない、慣れない、頼らない」と、孤立無援でも自由な生き方を求めてこられました。透明感のある絵も、時代をみすえた随筆も、凛(りん)とした美しさがあります。

  堀さんのおっしゃるように、まちの風景は、自然との関係のなかで、人間がつくりだすものです。
その人間が、自然と社会のありようについて、どういう思想をもっているのかで、風景はきまるということでしょう。


  数年前、三浦展さんが「ファスト風土化する日本」(洋泉社新書)で指摘したように、日本の地方都市は、郊外の大型店、全国チェーン店の展開で、どこも同じような風景になってしまいました。
とくに、国道ぞいに大型店舗が集中するすがたは、異様なほど全国共通です。力の強い企業を優遇する「規制緩和」という思想が、平板(へいばん)な風景を日本中につくりだしたのです。

   いま野田内閣は、被災地にたいし、復興対策として財政を支出するかわりに、「構造改革」路線を押しつけようとしています。漁業支援の条件として「協業化」「企業化」を求める、医療機関の再建も「集約化」を条件にする、さらには「特区」構想で企業参入や規制緩和をすすめる、等々です。

   「効率化」や企業のもうけ主義を、被災地復興の思想とするなら、また、同じ「顔」をした町々を三陸沿岸につくることになってしまいます。
  大事なことは、被災地のそれまでの歴史や文化を尊重し、人々のくらしをありのままに再建することです。そこに多様性がうまれ、震災前とまったく同じは無理にせよ、個性のある町がつくられていくでしょう。どの町も、みんなが「行ってみたくなる町」になってほしいとおもいます。