2012年6月8日金曜日

乱読のすすめ55-破局の悪夢①

大澤真幸さん


   「核には反対だが賛成だ」―そんな矛盾した論理構造が、原発だらけの日本をつくり、事故後も脱原発に踏み切れないというていたらくを招いているのでは…社会学者、大澤真幸さんの新著「夢よりも深い覚醒へ―3・11以降の哲学」(岩波新書)は、日本人の倫理性という角度から鋭く問いかけます。



   憲法や非核三原則によって平和をうたいあげている日本で、どうして、かくも熱心に原発の建設に取り組むことができたのか?

   大澤さんはそこに「原則的にはPである。ただしQは例外である」という原理がはたらいてきたといいます。
  「Pには、強い普遍的な規定が入る。ただQは、その普遍性に対する例外であり、これはいくらでも増やすことができる」…この原理をもちいると、普遍的な規定を好きなだけ蹂躙(じゅうりん)することができるうえに、普遍性の形式だけは維持することができるのです。
   たとえば憲法9条は戦争の放棄と軍隊(戦力)の不所持を掲げていますが、「自衛のための戦力は軍隊ではない」「後方支援は戦争ではない」などの例外をどんどん追加することによって、形骸化されてきました。

   大澤さんは、核=原子力に関しては、この原理が極限まで利用され、例外が普遍性の方を呑み込んでしまったと指摘します。
   「一切の核を持たず、作らないと日本は宣言した。ただし『平和利用』は例外であるとし、その例外をどんどん拡大してきた」
   「日本人は『核』という語と『原子力』という語を使い分け、前者を軍事利用に、後者を民事(平和)利用に割り当てているが、英語でいえば、どちらも『nuclear』である。『一切の核に反対である。ただし原子力は別だ』という文は、『すべてのnuclearに反対だが、nuclearは例外だ』というナンセンスな文になるのだ」
   「…そうした普遍的な原則にたいする関係のあり方に秘密の一切が含まれているのである。どんな例外も認めない普遍性、どのような妥協もない普遍性を維持していれば、こんな転回は生じえなかったはずだ」
    
  「破局の悪夢」を突き貫けるには、事故をまねいた行動倫理の問題点も見つめ直す必要があるとおおもいました。(つづく)