ルノワール 牛飼いの娘 |
インドでは、「物事は牛のように進む」といわれます。軽挙妄動して走りまわるくらいなら、鈍重でも確実な一歩を踏み出した方がいいという国民意識でしょうか。
もっとも、昨年、インドの国会では、与党の大規模な汚職が発覚し、野党のきびしい追及で国会が空転。法案の成立が例年の4分の1以下に落ち込み、規制緩和を期待していた市場関係者から、牛のごとく「動かない政治」だと揶揄(やゆ)されました。
いま日本の政治も、「法案成立率」が低いことを理由に、マスコミなどから「動かない政治」と批判されています。ただし、なかにはスリカエの議論もあることにご注意。
たとえば、日経新聞です。3月26日の二面で、世論調査結果をもとに、「動かぬ政治、不満拡大」という記事を掲載。与野党(民主、自民)の対立激化で国会審議が停滞、「決められない政治」「動かない政治」がつづいていることに国民の不満が拡大しているとし、話し合って政治を前に動かせと主張しています。ようするに、民主、自民の大連立のすすめです。
そして5月3日の社説「憲法改正の論議を前に進めよう」では、「憲法改正を審議する国会の憲法審査会は本格的に動く気配を見せていない」「5年間も放っている政治の怠慢は批判されてしかるべきだ。まさに『動かない政治』そのものである」。
さらに、「憲法改正」を動かすために、96条の改正条項の改正をもとめています。つまり、憲法改正発議には両議院のそれぞれ総議員の3分の2以上とあるのを、過半数に改めろということです。
くわえて、「強すぎる参議院」が「決められない政治」の制度的な原因になっているとし、衆院で可決し参院で否決した法案を、衆院で再議決して成立させるためには3分の2以上の賛成が必要となっているものを過半数に改め、衆議院の優越をはっきりさせるべきだと主張しています。
また、マスコミだけでなく、大阪の橋下氏のように、「決められる政治」にするため、首相公選や一院制、「憲法改正」を叫ぶ人も出てきています。
もちろん党利党略の審議拒否はやめるべきですが、現在の「動かない政治」のおおもとにあるのはそういう次元の話ではありません。
衆議院で与党多数で法案を通しても、参議院は野党が多数だから通らない=いわゆる「ねじれ国会」をつくりだしたのは国民自身です。前回の総選挙では自民党政治を終わらせてほしいと民主党に期待しましたが、その後の民主党をみて、二年前の参院選挙で民主党政権にノーの審判を下したのです。したがって、民主党の進めようという政治が「動かなくなった」のは民意の反映です。消費税増税がなかなか進められないのも、国民の反対世論が強いからです。
こういう民意の問題を無視して、「動かない」ことだけを問題視し、それを「制度」の責任にして首相公選や参院廃止を唱えたり、「大連立」を促すなど本末転倒。国民軽視も甚だしい。ましてや「憲法改正」にまで結びつけるのは、問題のスリカエであるとと同時に、危険な意図をかんじます。