石巻市内(4月撮影) |
民俗学者の赤坂憲男さんの「東北再生」(共著)は、東日本大震災を経験した私たちが、今後の東北だけでなく、未来の日本社会をどう描いていくのかを考えるうえで、多くのヒントをあたえてくれます。
東北は、かつては「日本国」に兵士と労働力を供給し、近年は製造部品と電力を供給してきた。赤坂さんは、そういう東北の地を、あえて「植民地だった」とし、これからの東北ありかた、自立とはなにかを問いかけます。
赤坂さんは「原発は、炭鉱とちがって、地域に歌も物語も生まなかった」といいます(「朝日」9月10日付)。
政府の「構造改革」路線でズタズタにされ、無機質な原発に翻弄(ほんろう)されてきた地域社会を、「歌と物語」のあるまちにしていかなければなりません。
テレビでは、「がんばれ、ニッポン」の掛け声があふれ、被災地どこでも「がんばろう〇〇」の張り紙が見られます。
しかし、津波で家も工場も失った宮城県石巻市の水産加工業の社長さんは「なにに向かってがんばればいいのか、教えてもらいたい」、風評被害にくるしむ福島県南相馬市の牛乳会社の社長さんは「先が見えれば、がんばれるのだが」といわれました。
言葉はむずかしい。
たしかに「がんばろう」のはんらんは、きびしい現実を空疎(くうそ)におおい隠しているようにおもえたり、「きずな」や「なりわい」という言葉も、散乱したがれきの前では情緒的すぎるように感じることがあります。
やっぱり、人ががんばるためには、標語だけでなく、具体的な見通しが必要です。
それでも、「歌と物語」はすてきな言葉だとおもいました。