2012年9月24日月曜日

乱読のすすめ64-制服の詩人

北原白秋
(1885-1942)











   『からたちの花』 1924年
   からたちの花が咲いたよ。 白い白い花が咲いたよ。…
   からたちのそばで泣いたよ。 みんなみんなやさしかったよ。

   『紀元二千六百年頒』 1941年
   ああわが民族の清明心。正大、忠烈、武勇、風雅、廉潔の諸徳。精神は一貫する。
   伝統は山河と交響し、臣節は国土に根生ふ。大儀の国日本、日本に栄光あれ。…
   大政翼賛の大行進を始め。行けよ皇国の盛大へ向かって、世界の新秩序へ向かって、
   人類の 福祉に万邦の融和に向かって…。

   どちらも、北原白秋の作品です。
   抒情詩人と戦争翼賛詩人の両面をもつ白秋。 しかし、白秋だけでなく、当時の日本国民のなかに「抒情」と「翼賛」は自然に同居していたのではないか。中野敏男さんは近著「詩歌と戦争」(NHKブックス)のなかで、戦争に向かって進んだ民衆の同時代的経験と「責任」を問いかけます。












 本書に出てくる一人の人間に注目しました。近藤東という詩人です。
 戦後、国鉄を中心に数々の労働歌を書いた近藤東は、戦時中は北原白秋以上に熱狂的な戦争翼賛詩人でした。
 「(一途に決戦下の体制へ挺身しつつある) 今日の詩が、本当の詩の姿であらねばならぬ。詩人は制服をつけた。制服の詩人がものする詩は既に彼『個』の詩ではなく、大いなる民族の詩であらねばならぬ」(1943年9月)
 こんなことを言っていた近藤東ですが、戦後は戦争賛美にたいする反省もなく、時のながれに乗って労働歌をつくりはじめます。しかも戦時中に唱えた「制服の詩人」という概念を、勤労詩のなかにそっくりもちこんだのです。侵略戦争勝利であれ、戦後復興であれ、勤労の目的はなんでもよい。労働現場にいる者は「制服の詩人」となり、勤労詩歌を高らかに歌えばよい、というわけです。
 近藤は1952年に書いたエッセイ「わが職業を語る」のなかでつぎのようにのべています。
   「あの終戦の混乱期にも国鉄だけはひとり健在であったことは誇りにしてもよい。それほど、いついかなる時にも鉄道は必要である。社会が右になっても左になっても、その重要性に変化はない。これは考えようによっては鉄道の独立的性格ともいえるが、反対に私は娼婦性じゃと笑っている」
 
   近藤の場合は、「抒情」など一かけらもない、ただの厚顔無恥といえるでしょう。
 
 憲法改悪や「愛国ファシズム」のうごきが強まりつつあるいま、二度と戦争への道をくりかえさないためには、民衆の立ち位置も試されます。あらためて、歴史にたいする深い省察がもとめられているとおもいました。