2012年6月25日月曜日

乱読のすすめ56-余生ではない新たな生へ

与謝野晶子
(1878-1942)











   “ やわ肌の あつき血汐にふれも見で さびしからずや 道を説く君 ”

   明治34年、女性の奔放な情感をうたいあげた与謝野晶子の歌集『みだれ髪』は、世の中に大きな衝撃をあたえました。

   近代以降の短歌に、はじめて「恋愛」を位置づけた『みだれ髪』。斎藤茂吉は『みだれ髪』を、「早熟の少女が早口にものいうごとき歌風であるけれども…みなこの歌集の出現に驚異の眼をみはったのである」と絶賛しています。
   なにが衝撃的なのか。それは、きれいごとではない、ありのままの生のすがたを表現したからでしょう。

   その斎藤茂吉も、晩年の歌集『つきかげ』で、それまであまり歌に詠まれなかった老人のありのままのすがた、おもいを歌にしました。
   “ 欠伸(あくび)すれば 傍にいる孫真似す 欠伸というは善なりや悪か ”

   老いてますます伸びやかに、余生ではない新たな生へ…小高賢「老いの歌」(岩波新書)は、短歌をとおし、高齢化時代の生き方をかんがえます。

 








   “ 老いたれど まだ一人寝の寂しさは 二十歳の頃と変わらざりけり ”

   “ 三秒だけ待ってください 履けるのです 飛んできて靴を履かせないで ”

   “ 我のため 車を止めて渡るのをためらい ボタンを押さずに待ちぬ ”

   “ 黒パン二枚よりは ましかと呟きて 朝昼晩といなりずし食いぬ ”

   “ ライブとやらに立ちどまる 下手と度胸に関心もして  ”

   “ ヨン様がいぬチャンネルに切り替える 心のせまき老人われは ”