2012年1月10日火曜日

乱読のすすめ38-高峰秀子「わたしの渡世日記」

日本エッセイスト・クラブ賞受賞
新潮文庫











   今日は、なにをかくそう、わたしの誕生日です。
   < おめでとう~>
   ありがとうございます。妻からも何も貰えなかったので、皆さんのその一言に救われた気がします。

   歳を重ねるとは、どういうことなのか。さらさら生きるとは、どういうことなのか。
   女優、故・高峰秀子さんの自伝「わたしの渡世日記」を読んで、かんがえさせられました。
   文庫本、上・下巻770ページを一気に読んでしまうくらい、エッセイ文学としても傑作です。

  “ 黄色いアメリカ人 ”より
   「 ポツダム宣言が受諾された。…悪夢のような戦争は終わった。…私は日比谷のア-ニー・パイル劇場の広いステージで、超満員の米兵を前に、アメリカの流行歌を歌っていた。…つい昨日までの私は、日本軍兵士のために軍歌を歌い、士気を鼓舞し、一億玉砕と叫び、日本軍の食糧に養われていた。…それが戦争が終わってまだ半年も経たないいま、今度は米軍の将校のためにアメリカのポピュラーソングを歌い、チョコレートやクッキーに食傷し、おまけに将校服地で仕立てた美しいグレーのコートを羽織って、テンとして恥じない 」
   「 『昨日までの自分』と、『今日の自分』のつじつまは絶対に合わないはずなのに、私はそれに目をつぶり、過去というページをふせて見ようともしないのである。なんという現金さ、なんという変わり身の早さ、人気商売とはいえ、こんなことが許されていいのだろうか…。人には言えない、妙なうしろめたさが、私の背後に忍び寄って、夜となく昼となく、とがった爪の先で、チョイ、チョイと私をつつくのだ 」
   「 私の歌った『同期の桜』で決意を固め、爆弾と共に散った若き将兵も何人かはあったはずだ。私が見せた涙で『生』への決別を誓った軍人もあったに違いない。あの日の涙は、何人かの人間を殺している。私はア-ニー・パイルのステージに立ちながら、混乱するばかりであった 」

   “ 勲章 ”より
   「 人の一生には、必ず波があり、嵐も山坂も壁もある。ある人はそれを試練と呼び、ある人はそれを苦労と呼ぶ。しかし、どんな不幸な人間にも、それなりに『花の時代』といえる時期があるのではないか、と私は思う。たとえその花が他人から見れば取るに足らないほどささやかな、忘れな草であろうとタンポポであろうと、花は花で変わりはしない。人は老いて、ふっと我が来し方を振り返ってみたとき、かならず、闇夜に灯を見たような、心あたたまる経験を幾つか持っていることに気づくだろう。それがその人の『花の時代』である 」

映画「二十四の瞳」 木下恵介監督








   名作映画「二十四の瞳」で、「小石」先生役を演じた高峰秀子さん。この本を読んで、高峰さんの気風(きっぷ)にますます惚れこみました。